2012年8月第2回

今から約40年も昔の事でございます。アッシは数人の鉄仲間と一緒に合宿の下見と

称し、山陰地方を巡っておりました。その頃は、米子鉄道管理局とそれに接する隣接

管理局の線区上で顔を上げれば、架線の無い広い空が広がっておりました。特急

急行の優等列車は、無煙化されておりましたが、今や語り草となった布原三重連

はじめ、蒸気機関車が、通勤列車や貨物列車の先頭ではマダマダ煙を上げていた

エリアでございました。新幹線の岡山開業後に電化されて陰陽連絡の幹線となった、

振り子電車381系で運用された特急「やくも」が、1時間ヘッドで走っている伯備線も

例外ではございませんでした。その伯備線石蟹駅でD51牽引の貨物列車が雑多な

貨車を連ねて進入して来た時のことでした。腕木は場内、通過ともに下がっており、

貨物列車は速度を落とし、機関助士がキャブから身を乗り出しタブレットをホームの

らせん状タブレット受けに投げた後、新見までの新たなタブレットを引っ掛け損う!

こりゃ大変っと思ったら、運行安全確認でホームいた駅員さん、タブレットを拾うと

猛ダッシュでカマを追いかけ、玉は無事に機関助士さんに渡ったのでございました。

今流行のATCはスンバラスィ〜けだど、物理的に形のあるタブレットを持って無いと

次の閉塞に進入出来ないお約束の方が、安心できるのはオジサン鉄だからかな?

伯備線 石蟹 1971-5

 Photo by 団長

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