今やアーバンライナーとして、JR西日本の顔??ともいえる大阪近郊の「新快速」高速
ネットワークで、それまで私鉄の後塵を拝していた関西の国鉄が、この列車を登場
させたことで、京阪神間で初めて優位にたったと言っても過言ではないでしょう。
今は新鋭223系による運転ですが、1970年大阪万博終了後後に、この列車が登場
した時は、万博輸送のために横須賀線から転用された、113系による運転でした。
当初は一日6往復の運転にすぎませんでしたが、1972年3月に新幹線が岡山まで
伸びると、余剰になった153系を使い大増発。15分ヘッドでの運転となり、今の隆盛
の元となったのです。今回の写真はその当時のもので、デカ目・低床の153系に、
大きなマークが印象的でした。なお塗装は元々の湘南色ではなくて、青帯の所謂
「新快速色」でしたが、カラーでないのがこれまた残念です。また列車種別「新快速」
ですが、当時快速の上位の種別としてはすでに中央線に特別快速がありましたが、
旧東鉄とは同じ名前にしたくないという、大阪鉄道管理局の意向があったとか・・・。
しかし、近郊区間に当時は急行用153系と太っ腹ですね。もっとも、いくらラッシュを
外したと言え、当時の中央快速線に2ドア車走らせたら、遅れの頻発は必死ですね。 東海道本線 大阪 1973-8
Photo by 松原の親方
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