2024年2月第1回 |
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以嘗て筑豊本線勝野から分岐してた、全線5kmチョイの国鉄宮田線。敷設の目的は、 勿論黒いダイヤと言われた石炭を筑豊本線経由で若松港に運ぶ事でございました。 そして、その宮田線の終点筑前宮田まで石炭を運んだのが、貝島炭鉱専用線でした。 今回の駅撮りは、その貝島炭鉱専用線の起点?積み出しホッパーのある六抗駅を 松原物故団員の遺作からアップしました。アッシの記憶が合ってりゃ、当時稼働してた 蒸気機関車は、コッペル製の31号機と32号機にアメリカンロコモティヴ製の22号機と 23号機の4両でございました。その4両の内石炭関連施設をバックに並んでたのが、 右に31号機、真ん中32号機、左は23号機、写って無い22号機は庫の中に居ました。 貝島炭鉱専用線31・32号機は、日本で一番でっかいコッペル製のカマで有名、画像は その32号機でございます。貝島の埋め戻し残土ポッパー車のカプラーは、バッファー リンク式なんで、32号機が繋いでるのは、前後で違うカプラー付けてた控え車ですね。 最後は、そのフォルムから弁当箱と呼ばれた、アルコ製の23号機と見難いけど庫で お休み中の僚機、第二エンドはバッファーリンクの22号でございます。 貝島炭鉱専用線 六抗 1973-8 Photo by 松原の親方 |