2020年7月第2回 |
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久し振りの昔ネタは松原団員が残してくれた、開業約1年後の子供の国線駅撮りです。 端から勝てる筈も無い戦もヤットコ終わり、田名にあった弾薬庫なんて物騒な施設は、 自然に触れて遊ぶってなコンセプトで開園した、モロ遠足目的地的な’こどもの国’に 変身いたしました。そのこどもの国へのアクセス手段として長津田から弾薬庫までの 専用線を改良して転用したのが、こどもの国線なのでございます。元々が陸軍=国の 物なんで、儲けちゃいけないナンタラ法人のこどもの国協会が、鉄道施設を所有して 東急が運営する、今で言う第二種形態での運行でございました。なので、列車も当然 東急の車両、開業時に東京急行電鉄が用意したのは、当時の主力車旧7000系でも 最新鋭の7200系でもなく、当然吊り掛け3000系でございました。その3000系の中で 選抜されたのが、切欠ホーム東急長津田駅5番線に停車中のデハ3405+クハ3866の 2連でした。しかし、謎なのがネガケースのメモでは、1968年7月撮影なのに、ホーム 左側下に写ってる線路と車止めで。長津田〜つくし野間の開業が1968年4月だから ホーム左側の線路は、そのまま高架線になって横浜線を越えつくし野方面に伸びて ないと辻褄が、合わないのでございます。3000系右っ側に見える線路の方は、恐らく 田園都市線からこどもの国線への直通列車用ですね。そんな訳で、駅撮りしたのは 1年前の1967年7月、ってな事も考えられるのでございます。ちなみに長津田工場も 長津田検車区も当時は、未だ田畑に野っ原でございませんでした。そして、開業から
半世紀余の時が流れた、現在の長津田駅こどもの国線ホームに入線する、横浜高速 Y000系と乗車を待つ人々、こんな画像を並べて見られるてぇのが、長い間鉄やてって 良かったって思う瞬間なのです。 こどもの国協会 こどもの国線 長津田 1968-7 Photo by 松原の親方 横浜高速鉄道 こどもの国線 長津田 2018-5 Photo by 団長 |