思鉄四国の旅=高松編

高松駅を外に出て振り返ってみると、あらためてその変わりようにビックリ、
またあたり一帯が再開発され、まるで公園の中に近代的な建物が点在
している様子に、時代の変化を感じられずにはいられませんでした。
 そのまま高松築港の方に歩いていったのですが、ここも回りのビルが壊されて、
公園の中に駅舎だけがあるような状況でした。ここから少し歩いたお堀端で朝の
通勤列車を撮ったのですが、団長がタバコを吸い終るのを待って出かけたもので、
結果肝心の旧型車の編成を撮り損なってしまって・・・やはり朝の三分はでかかった!!

お城のお堀端で40分くらい撮ったあとは乗り鉄。ということで琴電全線とJRが
高松から志度、琴平間乗り放題のフリー切符を購入する為、高松築港駅に。
しかしなんと、この切符琴電では販売されていなかったのです。結局高松駅の
緑 の窓口で購入し、そのままJR高徳本線で志度に向うことにしました。
なんたって予定があってない思鉄ですから、すぐに予定が変わってしまうのです。

志度までは約40分の旅、途中から琴電志度線の線路も見え隠れしています。
志度のあた りはつい最近合併で市となり今は「さぬき市」、市役所は志度の
駅のそばにおかれています。その玄関口?ともいえるJR志度駅は、新しい
立派な駅舎を持つ駅 になっていました。ここから琴電志度まで歩いて僅か
1〜2分ですが、思わず通り過ぎそうになってしまいそうな、小さなこじんまりと
した駅でした。ホームは 一面だけ。しかし懐かしい雰囲気の漂う駅でした。

今度は琴電志度線に乗 車、といってもとりあえずは二つ先の房前まで、ここで
海辺を行く電車を撮ろうというわけです。しかし大きな誤算は、志度線が一番
旧型車が動いているという ことで訪れたのですが、なんと動いている電車は、
すべてもと名古屋地下鉄の600形・・・う〜、釣り掛け車を撮りたかったのに!! 
といってもここまで来たら撮るっきゃないということで、海辺のポイントに向いました。
ついてビックリ、今度は海辺のカーブの部分に鉄のフェンスができてい て、列車の
姿を撮ることができません。なんたることか、といっても下調べもせずに適当に
行ってしまった思鉄、こうなる結果は見えていたのかもしれませんね。それでも
なんとか海沿いの景色の良いところで、撮影することができました。

再び志度線の客となり、次の目的地琴電屋島へとむかいま す。しかし
この日は素晴らしい晴天で、絶好の撮影日よりでしたが、とにかく暑かった。
団長曰く、「釣り掛け車を撮りたいけど、乗る時だけは冷房車じゃない と嫌だ〜」
ホント我儘なんだから。 さて15分ほどで屋島に到着、この駅も昔は観光の
玄関駅らしく、雰囲気のある駅でした。

さてここに来た目的は、屋島に登るケーブルカーを見るためでした。琴電を降りて
五分ほど歩くとケーブルカー乗り場があります。そこから古戦場として名高 い
屋島の山頂まで、琴電経営のケーブルカーが延びているのですが、これが
なんともレトロな存在。詳しくは写真を見てもらえればわかると思いますが、
車輌は「弁慶号」と「義経号」で昭和26年製、社歴50年の古参です。そういえば
思鉄メンバーと同世代??かな そして今回何としても見たかったのが、
この山頂 駅でした。

なにしろとんでもなく素晴らしい建物で、中のポスターがまた最高。ネット 仲間の
サイトで一度見てからすっかりとりこになってしまったのです。片道5分あまりの旅、
往復1300円、少し高かったけどここまで来たら行かないわけにはいかないです。
というわけて゛山頂駅まで行って、ただひたすら駅を眺めて帰ってきました。
その間10分あまり、駅員さんに『何しに来たの??」と 言われてしまいました。

屋島の次は、釣り掛け車を見なければということ で、今橋の車庫に向います。
志度線も日中の運用は600形がほとんどとなってしまったようですが、
今橋には旧型釣り掛け車325や 65が、休んでいました。しかしあれだけ
いた元京急の400系がほとんどいないのは、寂しかったです。今橋から
瓦町まではほんの一駅、瓦町の琴電そごうがつぶれたときは
どうなるかと思いましたが、今は天満屋が入っていました。それにしても
バブルの影響で の瓦町の一件以来、厳しい状況下の琴電ですが、本来の
電鉄の問題ではないだけになんとか頑張って欲しいものです。地方私鉄と
しては乗客も比較的多いようで すし。

さて、暑くて外に出るのも嫌だということで、天 満屋で昼食をすませ
(結局さぬきうどんは食べれませんでした) 今度は瓦町の電留線へ。
ここで釣り掛け車を撮影していると、長尾線の踏み切りが鳴り出しました。
どうせ600形だろうと思っていると、車体の色が違いま す。あれはっ、と
踏切までダッシュ!! こういうときだけは皆すばやい。やってきたのは見事な
釣り掛け編成。なんで〜、長尾線は昼間は600形ばかりのはずなのに・・・
どうやら適当に調べた情報 が違っていたようで、やはりキチンと下調べ
しないといけませんね。ガックシ!! おまけにつぎの列車も旧型車の編成でした。
こうなればもともと適当な思鉄、予定を変更して瓦町でしばし撮影となりました。
 さて今日はこのあと松山まで行かねばなりません。一応宿だけは取って
あったものですから。ということで予定よりかなり遅れて瓦町を引き上げて、
次は仏生山車庫の見学です。

ところでこの写真、ちょっと様子が違う!! そうこれは今回参加できなかった
武蔵高萩氏が撮った昔の瓦町の姿
。う〜ん懐かしい

仏生山車庫は琴電の中枢の車輌基地、思ったより 多くの車輌が休んでいました。
その中での特筆はやはり電動貨車のデカ1でしようか。また元阪神や、京急の
車輌、そしてオリジナルの形などもいました。 しかし近いうちに大幅に車輌の
入れ替えがあるかもしれないとのうわさもあり、琴電の釣り掛け車だけでなく
この1000形なども予断を許さないようです。仏生山から琴電琴平までは元京王の
5000系、元々私の地元の電車ですので、こうして元気に第二の人生を送って
いる姿を見ると嬉しくなってきます。しか も車内は更新され、また塗装も新しく
なってまるで新車のような感じさえしました。京王でもまだまだ働けたのでしょうが、
片開きスリードアの18m車という のがネックだったのでしょうね。

仏生山から30分ほどで琴電琴平着、ここは28年ぶりの訪問でしたが、
あの懐かしい駅舎は建替えられていました。そういえば昔来たときは、
ここから歩いて金毘羅参りをしましたね。といっても覚えているのは
階段がめちゃくちゃきつかったことくらいですが・・・

さて、琴電の駅から今度は歩いてJRの琴平駅へ。こちらは昔のままの壮大な
駅舎がそのまま残っていました。あの駅上屋についている丸金マークもその
ままで、懐かしかったです。また駅舎内には鉄道資料館もあるのですが、
こちらは残念ながら閉まっていました。ここからJRの113系で多度津へ。
この113系は塗装が変わり、全面形状が変わり、さらに室内は転換クロスシートが
装備され、首都圏の113系のよう なくたびれた様子はありませんでした。
高崎線など113系がなくなりすべて211系ロングシートかE231系。先日前橋から
帰るときは、快速アーバンと いってもロングシートで辛かったです。せめて
この113系(改)のような車輌を走らせて欲しい、ホントそう思います。

おまけ  高松築港の自販機

多度津からは今日の最終コース、8000系振り子電車で松山へ向いました。 さすがに
JR四国の誇る快速ランナー、カーブもものともせず飛ばしていきます。また途中の
停車駅も多めですが、加速減速もかなりのものでした。しかし瀬戸 内の景色を
見るはずが、予定より大幅遅れとなった為、途中から夜になってしまったのは
残念でした。しかもビールがきいたか睡魔が襲ってきて・・・さて、松山では何が
待っているのでしょうね。この先はカモ団員の担当となります。  By松原遊士

 

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