青函連絡船3  青森にて

上野を列車で発ち、青森に到着!! ここから青函連絡船までの長い競争がはじまる。通称200メートル競争とも呼ばれ、
大きな荷物を持って、時には駆け足でホームから階段、そして連絡線乗り 場までの長い通路を急ぐ様子は、
一種独特の雰囲気でした。特に夜行便では、カーペット部屋に寝るスペースを得る為必死でした。
 我々が利用していた時は、まだドラも紙テープも規制がなく、テープを投げて見送るシーンにも何度も遭遇しました。
特に函館を発つ時に、別れの光景は多かったように感じます。
 とにかく私にとって「船旅の印象」というのは、ほとんどが青函で得られたものでした。大シケで船が大揺れし、
横になって気持ち悪いのを必死にこらえたこ と。霧の航海で不安いっぱいだったこと。逆に静かな昼間の航海では、
寒い冬でもデッキで過ごし、去り行く函館山をいつまでも見ていたこともありました。
青函で食べる「イカ刺し定食(後にイカづくし定食)」の美味しかったこと。青函で出会い、函館で再会を期して分かれた
女の子・・・若き日の思いでは、今の方が鮮明に思い出されるから不思議です。

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1976,8  右に見える長い通路が桟橋への連絡橋  200メートル競争のトラックでした   

 

1976,8 船に乗り込む人々 まもなく出航            桟橋の通路を上げ出航準備右には続行の便が

1976,8  岸壁に横付けされた連絡線   後部からは貨車の積み込みもされている   Photo By 団長

 

1976,8 後部からはご覧のようにレールをつなぎ 貨車が船内へ貨車の積み込み風景  Photo By 団長

1976,8  出航した船内から 続行便を撮る    さらば〜本州  Photo By 団長

1975,8  青森港を後にした連絡船は、はるかなる大地北海道に向かって発っていった  Photo By 団長

 

最後は各船に備えられていたスタンプと、切符、そして乗船名簿です

 

    

      

 

                   

発行 大雪丸とあります

三本線の乗船名簿は特急の車内配布のものと思いました???

 

次は武蔵高萩の臨時青函連絡船復活です。1988年のシーン、ご覧下さい

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