思いでの青函連絡船 |
青函連絡船、
その響きは北の大地への憧れと共に特別なものがありました。初めて北海道に渡ったのが 1969年3月、以来蒸気機関車を求めての渡道は10回におよび、そのいずれもが当然のごとく青函利用でした。 その後就職するとほぼ同じ頃蒸気機関車が姿を消しましたが、更に三年ほど続けて冬の北海道を訪れました。 さすが にこの時は往復列車を使えるほど時間に余裕がなく、いずれも片道の乗船に終わっています。 最後に青函を利用したのは1982年5月31日、新婚旅行で北海 道を訪れた時でした。あれから21年・・・ 1988年の青函トンネルの開通と共に連絡船は姿を消し、あの独特のムードもなくなってしまいました。幾つかの 名曲にも歌われ、悲劇の歴史も体験し、そして我々の世代にとっては、追いかけた北海道の蒸気機関車と共に 忘れることのできない思い出深き連絡船・・・ 本来の鉄道の姿とは離れるかもしれませんが、思鉄10万回アクセスの記念として取り上げてみました。 私が乗船したのは計24回、当時の客船だった六隻すべてを利用することができました。しかし写真に関しては、 船の特徴ともいえる外部色がわかるカラーがな いのが残念です。また断片的に撮ったものばかりでまとまりも ありませんが、当時の記録として、また連絡船の旅を経験した方には記憶を呼び戻してもらえれば 幸いです。 |
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1973,2 雪の中青森に到着した「はつかり」 ここから北の国への旅立ちがはじまる
1972,2 青森にて 船の甲板から見ると、DE10が入れ替え作業の最中でした 構内は雪景色
1972,2 青森にて 乗船も終わりまもなく出航 静けさがあたりを包みます
1972,2 青森にて この頃の下り夜行便は1便、11便と続行の運転でした
1972,2 青森にて 続行の船はまだ岸壁に停泊中 これは十和田丸でした
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次は青函連絡船の船内をご覧頂きたいと思います。と言っ
ても客室やデッキ部などを 一部撮っているだけなのですが・・・いつも愛用していた普通客室のカーペット部屋、 就職してからようやく乗れたグリーン船室。寝 台もあったのですが、さすがにこれは 利用できませんでした。 残念なのは食堂やシャワー室の記録が無いことでしょうか。 3時間50分の船旅でしたが、結構船内は広くて快適でした。 |
1973,2 乗船するとすぐに売店があり、さらにその横には食堂もありました
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これは案内所兼乗車券売り場 ここで列車の指定券
これは羊蹄丸 こちらが一番世話になった普通船室絨毯部屋。夜行便の時はとにかく
こちらはグリーン船室、シートは当時のグリーン車と
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これは救命胴着のつけ方の見本です 普通船室の椅子席の様子 中にはワゴンサービスの車販ならぬ船販も・・・ こちらは大雪丸です この記念撮影シーンもかなり撮っていました
こちらはご存知シンボルマーク 各船それぞれ独自の |