2005年8月第4週


C62やC59の大型蒸気牽引でオジサン鉄青春時代の憧れだった寝台急行”安芸”は

東京−広島を呉線経由で運転されていましたが、呉線電化でDL牽引に置き換わる

ことなく、1970年に電車急行「安芸」になりました。運転区間も短くなり赤穂線経由で

下りは大阪−呉、上りは呉〜新大坂となりました。更に1972年3月”ひかりは西へ”の

キャッチフレーズの如く、岡山に達した新幹線により運転区間は情け容赦無く削られ

岡山−広島間になってしまい、利用客から見放されたのか、当初12連だった編成も

サロ抜きの6連まで減車となってしまった。当然このまま消滅かと思いきや、ナ〜ント

1975年に再度寝台列車に復活、って言っても夜行急行列車の”音戸”を使い倒しの

20系をかき集めトニカク特急寝台列車に仕立て上げたもの。動機が不純だったのか

やっぱり不人気で、2年後25系を投入したが、時既に遅し1978年にはあえなく廃止。

所で急行「安芸」は153系での運転だったと記憶しているのですが、撮ってる写真は

165系、ってこれは臨時かなぁ?それとも共通運用?記憶にありませんm(_ _)m!


                  東海道本線 大阪 1971-11
 Photo by 武蔵高萩