2004年7月第3週


いつも適当写真しか撮ってない思鉄、どう言う訳か、DC特急の草分けキハ81系だけは

なんと使われた全部の特急の写真があったのです。もちろん四人合 わせてですが・・・

そのキハ81最後の花道を飾ったのが、非電化時代の紀勢本線特急「くろしお」でした。

1960年12月、”はつかり”として誕生したボンネットDCキハ81も1978年に「くろしお」で

鉄路から引退、その華麗且つ波乱の歴史は”はつかり””つばさ””いなほ””ひたち”と

過去のUPにお任せしま〜す。

さて紀勢本線特急として有名だった「くろしお」も、最初にこの名が使われたのは、何と

房総準急。さらに、紀勢本線でもDC特急「くろしお」の運転以前、天王寺〜白浜口に

週末客車準急が”くろしお”の名前を付けて運転されていました。更に、さらに、サラニ

オドロイタのは紀伊半島と海を隔てた四国にもDC急行”黒潮”が走っていたそうです。

ク・ロ・シ・オ と言うネーミングはHM界の山田○郎さんなんでしょうかねぇ?

いずれにしても、みどりの窓口設置駅がまだエリート、マルス101に駅名印字用の棒を

入れて発券していたアナログ時代のお話です。しかし、今回も撮影場所の記憶が無い

ウゥ〜関西本線名古屋口の橋梁の一つなんですが、またまたヘルプです(トホホ)。

<不明だった撮影地点を「五条川写真館」の吉野様、「富士見写真館」の館長様に教えて頂きました。>


                   関西本線 桑名〜富田 1974-10
 Photo by 松原の親方