2024年4月第1回

今回の駅撮り探検団は、肥薩線不通区間八代〜吉松間の内、人吉までの川線区間

だけ、取り敢えず復旧決定ってなニュースを見たんで、松原物故団員と名誉団長の

撮ってた銀塩が、数コマ在ったんでアップしてみました。なお、残ってたネガは、全面

カビと粒子アラアラの為、デジタル化した画像もカビ付き粒状性難有り、ご容赦です。

端に登場するのは、乗車列車の被り付きから撮った白石でございます。乗車列車は、

影の出来てる方向と正面奥左側出青現示発信号から、熊本7:56発急行「えびの」1号

宮崎行と推測しました。なので、白石は通過扱いだけど、タブレットの授受と通過列車

安全確保の為、ホームに駅長さん・助役さんの姿が見えますね。勿論当時は有人駅。

白石の次は、球泉洞なる観光チックな駅名に変わる前、地味なローカル駅だった頃の

大坂間でございます。片面ホームだけど、当時は当然有人駅でございました。撮った

日時は、1コマ目の白石よりさらに昔で、撮影したトコは、恐らくデッキか後部貫通路、

いずれにしても。車外からじゃ無さそうですね。鳥居型の駅名表示板も懐かしいなぁ。

次の一勝地でC57重連の上り列車と交換しています。この交換列車は、人吉6:24発の

824レ八代行なので、一駅前の大坂間の撮影アングルからも、このC57重連を撮った

松原物故団員の乗車していた列車は、門司港23:30発都城行夜行普通列車121レ→

八代から2121レだと推測です。この列車に乗り大畑で撮り鉄が当時の定番でしたね。

最後は、再び被り付きアングルは、急行「えびの」1号と渡駅で交換する、湯前8;23発

肥薩線経由鹿児島本線直通熊本行ってな、今の車両運用のリスク回避優先のJRじゃ

考えられない、太っ腹な運転経路の普通列車628Dだけど、一寸悔しい串刺しカットで

お開きです。

 国鉄 肥薩線 カラー 白石 渡 1985-8

Photo by 名誉団長

国鉄 肥薩線 モノクロ 大坂間 一勝地 1969-8

Photo by 松原の親方

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