2016年8月第4回 |
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東海道本線・新幹線と近鉄に挟まれ、国鉄時代から本線と名乗っていても名阪間の 裏街道的存在だった関西本線。それでも昔は名古屋から湊町へDC急行「かすが」や 柘植から草津線を経由して京都までの急行「平安」、東京から夜行急行の「大和」に キハ82の特急「あすか」阪和貨物線経由東和歌山行きなど、それなりの優等列車が、 走っていたのでございます。、今も昔も変わらない最閑散区間の亀山〜加茂ですら 片道で1日約20本の旅客列車、更にコレに貨物列車と荷物列車スジが加わッちゃう 分けなんで、加太〜柘植間の中在家信号場は停車に交換に通過に一日中大忙しで ございました。そんな現役バリバリで活躍していた頃の中在家信号場に爆煙上げて 25パーミルを登って来た、亀山機関区のD51 800号機牽引の貨物レ駅撮りの1コマを アップしちゃいました。ところで、常紋や布原は客扱いしていたけど、中在家信号場は どうだったんだろぉ?確かこん時ゃ車で行ったはず。思い出せない・・・ 関西本線 中在家信号場 1972-1 Photo by 団長 |