2016年7月第2回

信州中野から30〜40パーミリの急勾配で湯田中に向かうのが、長電の山の内線っと

思ったら、今じゃ長野から湯田中まで通しで長野線になっちまったそうです。長野電鉄

発祥のルーツだった河東線の線名も消えっちまいました。その長野線信州中野から

湯田中に向かう急勾配区間が、未だ山の内線と呼ばれていた頃、地平の長野駅から

2000系最前部に座って乗り鉄を楽しみました。今回の駅撮り探検団はその時撮った

信濃竹原駅へ進入通過する特急列車からの一コマでございます。デフロスター越しの

へっぽこカットですが、CTC化以前の非自動閉塞時代ですから、当然信号機は場内も

通過も腕木信号なのが判りますね。架線柱串刺しで写っている、交換待ちで停車中の

車両は、戦後生まれ省規格電車抑速付き1500形の様でございます。ってな事で昔は、

何処でも見られた地方私鉄日常風景スナップございました。

長野電鉄長野線(山の内線) 信濃竹原 1970-11

Photo by 団長

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