2011年10月第4回 |
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石炭産業は既に傾きかけていたけど、筑豊では網の目のように敷かれた運炭路線も 殆んど健在で、9600は運炭列車の先頭で頑張り、側線にはセラやセムが群れていた 1970年の筑豊本線は桂川の駅撮りでございます。逆光も構わず無理やり撮ったのは C55 46号機に牽かれたオハ35あたりが連なった、多分原田発若松行きの740列車。 なにぶん40年も前の事、覚えているのは篠栗線に乗って桂川に到着したことだけ。 最初は朝の下り列車を撮ったと思ったけれど、前後のコマから夕方の通勤列車だと 判った次第でございます。この頃の筑豊本線には特急かもめに京都発の急行天草、 客車はC55、D50やD60の貨物列車と、本線の名に恥じない大動脈でございました。 それが今じゃ桂川から北は篠栗線と合わせて福北ゆたか線って言うんだそうです。 そして、ここから原田方面は完全なるローカル線、若松〜原田に通しの普通列車が 何本も走っていた筑豊本線は石炭と共に消えてしまいました。 筑豊本線 桂川 1970-8 Photo by 団長 |