2010年12月第1回

東京板橋区に誕生したマンモス団地「高島平団地」、オラッチが子供の頃は一面の

田圃でした。かつては徳丸原(とくまるがはら)と呼ばれ、江戸幕府の西洋式砲術の

訓練所だったとか。ここの指導者だった高島秋帆(しゅうはん)の名前から団地名を

「高島平」と名付けたそうです。都電41系統廃止の代替で建設された都営三田線

開通後は長いこと名無しで、「都営6号」と呼ばれていました。当初は巣鴨が始発で

終点が高島平、開業時は志村と名乗っていましたね。開業まもなく自転車で現地に

行ったてみたのですが、造成中で道がなく駅までたどり着けず・・・

上がその時の写真、駅には人影なくたったの4両編成の6000形。道路の予定地には

土管が。変わって下は2010年のほぼ同じ場所から、駅舎は変わらずですが成長した

銀杏に遮られ車両は見えず。三田線はこの先で東上線と乗り入れる予定でしたが、

東武側の事情で中止に。なので2つ先の西高島平でレールはチョン切られています。

当時の車両、6000形の方向幕には「志木」や「川越市」などが用意されていたのが

今となっては懐かしい。

都営地下鉄三田線 上 志村 1969-頃

都営地下鉄三田線 下 高島平 2010-10

Photo by むさちゃん

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