2010年6月第2回


電化ホヤホヤの奥羽本線を颯爽とテールマークも誇らしげに、下っていく寝台特急

「日本海」、この頃は20系客車は走るホテルと言われ、庶民羨望の的だったのです。

しかし、今頃の基準じゃ寝台幅52cm三段ベッド(B寝台ですけど)でホテルなんて、

何処のカプセルホテル?って事でしょうけどね。夜行も直角セズリのボックスシートが

庶民にゃアタリマエの当時、天井が低くとも、幅が狭くとも、心地よい空調の車内で、

身を横たえて寝られるんですから、ヤハリ20系は納得の走るホテルだったわけです。

「日本海」は2001レという、エース級の列車番号が与えられていた事からも判る様に、

北海道連絡の指名を帯びた、重要なスジでした。昼間の主役はDC特急の「白鳥」

こちらも2001Dのエース番号列車でしたね。ちなみに上野発寝台特急「あけぼの」

1001レで、やはり主力は首都圏発というところでしょうか。ところで反対側の番線に

停車中のローカルは、五能線沢目始発のチョン行、ゴーカ20系寝台列車と好対照。

当然、オラッチ撮影対象メインはこのハチロク牽引のローカル列車だったのですが、

たまたま入線した「日本海」と並んだので、おまけの撮影ができました。ハチロクは

今でもJR九州で健在なのですが、あの狭いカイコ棚の三段寝台にもう一度乗りたい、

って思いますがコチラの方は今では叶いませんね。

            奥羽本線 東能代  1971-8
 Photo by むさちゃん

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