2005年3月第4週


新大阪と山陰地方を結ぶ唯一の夜行列車だった急行「だいせん」が一本立ちしたのは

良くも悪くも日本国有鉄道のターニングポイントになった、ヨン・サン・トウの白紙改正。

昼行は併結の気動車、夜行は10系寝台プラス一般客車という当時よく見かけられた

急行のパターンでした。やがて夜行は20系客車となり、ハザ3両とハネ6両に、カヤ、

マニ、ユニを従えた堂々たる編成で大社線へ乗入ましたよねぇご同輩、憶えてますか。

しかし、時の流れはやがて昼行「だいせん」を廃止に追い込み、大社線は廃線、夜行

だいせん」も14系寝台3両+12系客車2両にスケールダウンさせてしまいました。

そして、気が付けばエーデル編成の65系気動車2両という裏寂れた状態に。しかも

昼行ならまだしも、夜行の運用なのに展望展望車とは!前の方に座って闇の中から

現れては消える駅の灯りや信号機なんかを見れば、楽しいはずの旅行気分がなぜか

物悲しくなって仕舞いそう。ドコカラ見て間に合わせ運用の車両になった「だいせん」は

思惑通りか自然の摂理か、遂に2004年10月の改正で廃止されて仕舞いました。


                  東海道本線 大阪 2001-1
 Photo by カモ