福島交通 軌道線

 

その昔、国鉄福島駅前より福島交通軌道線が保原、梁川へと走っておりました。
かつては掛田、伊達への路線もありましたが順次縮小となり、’71(昭和46)年
4月11日をもって全線廃止となりました。友人と上野から夜行普通列車の青森行
421列車の旧型客車に揺られ、廃線2日前の軌道線を訪れました。
廃線間近でしたので、ほとんどの車両に「さよなら」の垂れ幕を掲げていました。
それでは平成の時代では味わえない浮世離れした風景をご覧ください。

 

阿武隈川を渡る

 

      木橋の幸橋上を行く1107                         未舗装の本内で交換待ちの1107

軌間は1067mmですがナローゲージの車両のような幅の狭い車両でした。これは大正15年の
開業時は762mmで、昭和の初めに改軌されたが幅についてそのままであったためではないかと
思われます。路面電車とは言っても軌道敷のほとんどは未舗装、橋は木橋というものすごい
ロケーションでした。

新蒲田付近の2023装飾電車

<長岡分岐点での装飾電車

あっ、火事だ〜

当日はカメラがブレてしまうほどの強風で、風に向かって寄りかかることができる様な感じでした。
橋のたもとで待っていると向こうに「さよなら装飾電車」が見えてきました。ところが電車はなかなか
目前まできません。すると遙か向こうの電車から人がバラバラと降ているのが見えます。??? 
あっ、火事だ〜強風のため架線にパンタグラフがひっかかたのでしょうか?スパークか何かが
火種になり装飾が燃えたようです。ほどなく火は消えたようですが、この火事による架線故障の為、
電車の運転は午後3時迄運休です。廃止目前になって架線の復旧作業を行うということに
なってしまいました。

パンタの壊れた装飾電車

運休の告知

「貨物輸送」

 軌道線では少し前まで貨物扱いを行っていました。貨物輸送の主役が電動貨車の「ニモ1」でした。
「ニモ1」は数量の貨車に米などを積み、市内を堂々と闊歩していたそうです。残念ながらもう
「ダルマ」と化しており、物置での余生を過ごしていました。できることならあのユーモラスな
「貨物列車」を見てみたかった。長岡車庫に放置されていた貨車もお目にかけます。

ホワ10(左)、ホワ14(右)

ホワ1(向こう)、ホワ12(手前)

1971(昭和46)年4月11日この日を最後に福島交通は鉄道路線だけの会社となりました。
軌道線が土煙を上げて走った梁川の町に、現在ではあぶくま急行の交流電車が颯爽と走って
いるのも時代を感じさせます。
 

さよなら、救助網と朝顔連結器の木造鋼体化車たち

現役時代の写真は、TADA様のサイト「汽車・電車1971〜」の中の「福島交通軌道線」にも
掲載されています。併せてこちらもご覧ください。尚画像提供は「種子屋」さんです。

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