私が美唄鉄道撮影に行ったのは、松原団員が訪れた
約2年半後の1971年7月の終わりです。が、松原遊士と
同じく美唄の駅だけの訪問であえなく頓挫。
まだまだ
石炭産業は盛況に見えましたがなんと11ヶ月後、この
鉄道は廃線となり再訪は叶わずじまい。まさかこれが
最後の夏になろうとは・・・考えもしませんでした。
                                                               撮影:1971年7月

part2

タイミング良く、Eタンク2号の引く石炭列車が美唄へ戻ってきた。

しばしの休息をとる2号機は丸いプレートがよく似合う。
松原団員が訪れた1969年4月当時はプレートは
四角でした。
2号機は1919年 三菱造船神戸造船所製造の自社発注機です。

構内風景、木造のかなりくたびれた建物ばかり。

4122は国鉄から1948年にやってきました
国鉄時代も同じナンバーですが、ここでは
円形プレートに変身たった一枚の写真は
ピンボケで・・・ど〜もです

美唄炭山に向かって重連発車!ですが空セキなので
本務の6号機の煙が良くありませんね。

ここからはその時ゲットした切符をご紹介。

  

 

   

乗車券類は美唄鉄道職員の方のご厚意で頂戴したものです。
入場券と記念券は購入しました。

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