松本電鉄浅間線

 

今回の島田鉄道写真館は、松本電鉄浅間線をお送りします。長野県で唯一のトロリーラインだった浅間線。
恐らくこの鉄道の姿を実際に目にした方はあまりいらっしゃらないと思います。勿論私など当然知る由もない
世界ですが、写真を見ていると古き良き時代 の鉄道の姿に思わず引き込まれそうになってきます。
ダブルルーフ・木造の車体、事故防止の救助網、沿線の建物や車・人の情景・・・もう40年というかまだ40年
というか、東京オリンピック前にはまだまだこういう情景が見られたのです。

 

ホデハ2  1926年東洋車輌製11m木造ボギー車 ダブルルーフ・救助網がなんともいえません。

横田では列車の交換がおこなわれていた  またここには車庫もあり中間の最重要駅でした。

のどかな田園地帯を行くホデハ4    前述のホデハ2とともに東洋車輌より納入された。

終点の浅間温泉駅  ホームは一面でしたが、二階建ての駅舎がモダンでした。

横田の車庫にて ホデハ6とホデハ10  ともに1927年汽車製造製11mの木造車、シングルルーフで
おわん型ベンチレターが特徴でした。 

同じく横田の車庫にて  右のホデハ10は製造時はホデハ7でしたが、改番されました。これは
奇数は島々線、偶数が浅間線と分けられた為です。木目の車体がはっきりわかります。

 

最終日

 

松本電鉄浅間線は松本市郊外の浅間温泉と松本駅前を結んでいた軌道線でした。、全区間5.3Kmで
松本駅前を出ると併用軌道が1.6Kmほど続き、この区間以外は専用軌道だった。松本駅と浅間温泉を
結ぶ鉄道は、すでに松本〜竜島(島々)間の免許を取得 していた筑摩鉄道の手で免許が取得され、
大正13年(1924)4月19日松本駅前〜浅間温泉間が開通した。当初松本駅前停留所は松本駅から
少し離 れた駅前通にあったが、昭和7年に松本駅前広場に移転され、同年12月社名も筑摩電気鉄道
から松本電気鉄道に改称された。戦後の混乱期が過ぎると、他の地方私鉄同様バスやマイカーの
普及などにより、利用者の減少に悩ませられ、またいわゆる高度成長下で邪魔者扱いされ、ついに
専用軌道区間を自社のバス専用道路にすることで、昭和39年(1964)3月31日をもってその歴史に幕を
閉じたのである。廃止のその日まで、すべて木 造車による運行が続いていた浅間線だった。

 

松本駅付近の併用軌道を行くホデハ2のお別れ列車 最後まで木造車が活躍していました。

同じく松本駅付近にて 列車もですが、車のスタイルも懐かしいですね、。

起点の松本駅前にて 出発を待つ列車 この先すぐに併用軌道になります。

浅間温泉付近を行く お別れ列車  このあたりはまわりに山が広がってきます。

浅間温泉駅の引き上げ線で休むホデハ10、明治時代の路面電車によく見られた救助網ですが、
この時代では既に珍しかったようです。

最終日の浅間温泉駅  お別れの垂れ幕が寂しい・・・

 

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