青梅線あの頃 |
東京近郊、というか東京都内で自然の色が一番濃いのが、青梅線ではないでしょうか。一昔前までは、 茶色の旧国とED16の天下だった青梅線、1970年代後半には、旧国は101系や103系に変わり、また 1983年には青梅のヌシとも言えたED16も 姿を消しました。更には1998年には青梅線の貨物列車 自体が姿を消し、また沿線の開発も次第に進みつつあります。それでも休日にはホリディー快速が 運転 され、ハイカーや観光客から親しまれている路線でもあります。そんな青梅線ですが、写真を 撮ったのはごく僅かに過ぎず、1971年に青梅鉄道公園に行った ときに撮影したものと、中学生の時に 少し撮ったくらいでした。しかもいつも以上に撮影場所がよく判らない(トホホ) 一応多分そうだと思う ところを書いておきましたが、間違っていたらゴメンナサイです。201系の今後も予断を許さない昨今 ですが、また青梅路にも足を運んでみたいものです。 |
こちらは旧国4連 先頭はクハ68 ・・・と思っていましたが、幣サイトとリンクしてます「やぎしたさん」より
青梅で待機するクモハ40
形。
緑濃い中を行く73系(多分)列車、鯉のぼりも見えています。
これも川井だと思うのですが??? 先頭はクハ79ですね。
いかにも無骨な感じが73系らしさでした。
こちらは当時は新鋭の101系、青梅線ではまだまだ貴重な存在でした。
オレンジの101系のカラーは数枚しかありません。場所は有名な川井の橋梁です。
ED16は国産初期の電気機関車で、1931年に18両が製造された。 中央線や上越線などの
杉並木の中を行くED16、半逆光で顔がつぶれてしまいました。 石灰石列車を牽いて出発を待つED16、
かっては見慣れた光景でしたが・・・
デッキつき電気機関車はやはり良いですね。 |