日立電鉄釣り掛けの頃 |
2005年度の廃止が予定に上っている日立電鉄。今年に入って二度訪問の機会を得ましたが、25年ほど前に 一度訪問したことがありました。当時は車輌は勿論釣り掛け車が中心で、その時は走行シーンを見ることの できなかった、元静鉄の100形がピカイチ の車輌でした。手作りというわけではありませんが、同一形式でも 一両一両スタイルが異なり、かなり複雑な履歴の車輌もいて、バラエティに富んだ鉄道でし た。しかしそれが 逆にどうも撮った車両の形式がよく判らない・・・という状態になってしまいました。メモを取っていないのが いけないのですが、鮎川側と常 北太田側で顔の違う車輌もいたりで、昔の本を引っ張り出して調べたのですが、 よく判らない写真もありました。この点につき間違いなど判りましたら、ご指摘 いただければ幸いです。 |
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常北太田にて 駅の感じは今とあまり変わりないようだ。停車中の電車はモハ9形、1943年に日立製作所で
大甕にて モハ13形、もとは国鉄相模線の前身旧相模鉄道の電気式気動車で現在の相模鉄道の前身の 久慈浜ー大甕 これは車輌がよく判らないのですが、モハ11形ではないかと。鮎川延長に際し日立が製造 久慈浜ー大甕 この切りとおしは今年も撮りましたが、上には住宅がたっていました。
久慈浜ー大甕を行くモハ13形、この時代も日中は単行ワンマン運転で、ワンマン対応の9形・11形・13形などが 鮎川にて これもモハ9形。
鮎川にて 右モハ1000型は小田急デハ1100型が直接または相模鉄道を経由して6両が入線日立電鉄最多
鮎川にて 左これもモハ1000形で元小田原急行モハ1型だが、相鉄時代には荷電として使われていた車両 |