2005年5月第1週


生保内線の終点生保内と橋場線の終点雫石間が1966年に開通して

盲腸線から脱出、線名も新になり今の田沢湖線が誕生しましたが、

実態は本線と本線の間を山越えで結び、優等列車はこの頃の定番

本線分岐駅で分割された気動車急行が2往復ぐらい設定されている

何処にでもある単なるローカル線でしたが、東北新幹線が盛岡まで

開業するとさあ大変!ノンビリムードのローカル線が新幹線経由での

秋田へのアクセス路線へと大変身しました。そのアクセス特急として

1982年に登場したのが「たざわ」でした。しかし、盛岡で乗り換える

必要があるため乗客は少なく、そのため編成も最短で僅か3両、また

ロザ無し編成があったりのローカル特急でした。そして山形新幹線の

成功がここにも波及し、ミニ新幹線工事が始まった1996年には廃止と

なってしまいました。今では”こまち”が秋田新幹線のネーミングとして

定着してしまい、「たざわ」の名も忘れ去られてしまったようですね。

田沢湖線には「秋田新幹線」の別名はあるものの、田沢湖線自体は

ナント地方交通線。東京へ直通新幹線が走っているのに、割増運賃を

取らないとやっていけないなんて、な〜んかヘンですねぇ?


                  田沢湖線 角館 1990-7
 Photo by 武蔵高萩