2012年10月第3回

今回の駅撮り探検団は最盛期に私鉄の103系と敬われたのか、揶揄されたのかは、

定かじゃないけれど、昭和鋼体電車として栄華を極めた東武8000系と、その最後の

牙城なった野田線岩槻駅の写真をご紹介でございます。少し前は人形の町岩槻市の

表玄関として、そして平成の大合併と称した全国的地名大改悪の難を逃れた現在は、

さいたま市岩槻区の表玄関。駅の造りは、木造平屋の駅本屋に接して1番線ホーム、

古レールのワーレントラスで支えられた跨線橋を渡れば島式ホームの2・3番線、その

外側には数本の側線がある、2面3線の国鉄標準風駅構造なのです。そんな昭和の

駅にお似合いなのが、原型は失ってもヤハリ鋼体電車8000系じゃございませんか?

っと書きつつも、73・78系てぇのが、本音なのでございます。

東武野田線 岩槻 2005-9

 Photo by 団長

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