日本セメント埼玉工場専用線(その2)
      DL化から廃線まで
蒸気機関車が消えてもセメント輸送はDD51にバトンタッチし活躍が続いた。
蒸気が消え、そして就職によりこの地から遠ざかっていた私が再びカメラを
持ち出した頃、西大家への東武の専用線は既に過去のものとなり、高麗川へ
の運転も激減していた。

SLが消えてもDD51が長い間活躍したホキを引きセメント工場に進入する。
                                     94年6月

工場内は専用のD35Tが入れ換えを担当。 94年6月

景気が低迷する中、細々と運転されていたバラ積みセメントの
出荷もトラックに代替えされ、99年9月をもって高麗川への
専用線はその使命を終えた。

光っていたレールは切断され、踏切は閉鎖された。

錆びたレールだけがそこに残されている。

廃止となった構内の片隅には、石油荷役
所有のタキ14405が放置されていた。

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