日本セメント埼玉工場専用線(その1)
        蒸気機関車編
八高線と川越線のジャンクション高麗川から、日本セメント(現太平洋セメント)
埼玉工場の専用線が分岐していたのをご存じでしょうか?。68年頃は梓川ダム
のセメント輸送で、早朝深夜まで蒸気牽引のセメント列車が頻繁に運転されて
いました。ちょうど叔父の家がこの専用線の線路際にあったので、泊まり込みで
撮影に行きました。家の前は警報機のない踏切なので、必ず汽笛を鳴らすため
おちおち寝ていられず、朝が待ち遠しかった。もっとも叔母は洗濯物が汚れると
いつも愚痴をこぼしていましたが・・・このセメントは松本電鉄の渚まで国鉄蒸気、
新島々までは松本電鉄の電機で輸送していた様です。

 

叔父の家の前の踏切で撮影珍しく4ケタのキューロクが入線した。68年11月

トキを引いて栗畑の中を行くカマは馴染みの49613だ!

工場行きはバック運転キューロクが原石満載のホキを引く。

今朝はデコイチ911号の工場行き列車で目が覚めた
早速カメラを持って朝飯前の撮影、いい身分である。

もう一台のお馴染みさん、大宮機関区の59674。  69年8月

高麗川駅で、タブレットの受け渡しを行う。構内には
転車台もあり、いつも何両かのカマが昼寝していた。

八高線の主役はD51の重連、D51515が先頭で25パーミルをのりきる
全力でダッシュするD51の黒煙に、腕木信号機は迷惑そう。  70年3月

次のページへ

   増結3号車トップへ