一枚の小荷物キップ
一枚の切符、それも今では見かけなくなった
「小荷物切符」を発見したことからはじまります。

この「小荷物切符」は昭和52年当時住んでいた高知から、特産の
「土佐文旦」を実家に送った時の切符です。「宅●便」などはまだ
一般的でなく、小包は郵便局、大荷物は駅へ持ち込むのがアタリマエ、
ですから「土佐文旦」も当然の様に国鉄「高知駅」小荷物扱所へ。
私の実家は東武東上線の「下赤塚」駅で住所を記入すると、「東武(社)
上板橋」とスタンプした切符を渡されました一私鉄小駅のスタンプが、
1000Kmも離れた高知駅に常備してあったとは正直ビックリ! 
「土佐文旦」は高知駅をDF50牽引荷物列車でスタート、高松から
宇高連絡船で瀬戸内海を渡り、宇野〜山陽〜東海道と旅をし、
やっとこさ汐留に山手線をクモニ13の荷物電車で池袋まで運ばれ、
そこからたった6駅だけ東上線のモユニ君にお世話になって
上板橋に到着、何日位かかったのでしょうね?

前置きが長くなりましたが、そんなわけで
東上線のモユニ君2両をご紹介します。

上り発車待ちのモユニ1190、真っ赤な塗装が奇抜!で、もっとよく
見るとワイパーアームまで赤に塗ってある   1970年4月上板橋

やたらデッカイパンタが印象的  1970年4月上板橋

成増には小荷物専用ホームがありました、山と積まれた荷物に付いた荷札も
懐かしい現在ここはレンタカー会社の駐車場になっています。1970年4月成増

東上線にはもう一両、モユニ1491がいました。こちらはオレンジにベージュの
ツートンカラー変則的に並んだオワン形ベンチレータが東武の象徴。1970年4月成増

川越駅上りホーム本屋前で、悠々と小荷物積み込み中の
モユニ1491うず高く積まれた小荷物、積み込みにどのくらい
時間がかかったのでしょうか?後続列車は大丈夫?1970年4月川越

 

モユニ1190】  
1925年(大正14)日本車輌でクハ2(クハ1形)として誕生。その後
デハ8→モハ1110を経て、1955年(昭和30)にモユニ1190形の
モユニ1190となり977年に廃車となりました同時期に製造された
クハ1は新潟交通へ譲渡され、モハ17になったそうです。

モユニ1491】
モユニ1491は1928年(昭和3)汽車会社でクハニ28(クハニ2形)
として誕生。デハ105→モハ1402を経て、1966年(昭和41に
モユニ1490形、1491となりました。モユニ1190と同じく1977年に廃車。

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思いでの東武電車パート1 東武浅草駅の模様(1977年)

思いでの東武電車パート2東上線川越電車区に屯する吊り掛け(1968年)

旧型電車ゴロゴロ、新栃木&館林吊り掛けがゴロゴロ新栃木と館林(1968年) 

 

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