さようなら 川越線の103系

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毎日の通勤にお世話になった川越線の103系が事実上撤退しました最後の山手線カラー
「ハエ53編成」は今も南古谷に留置されていますが予備中の予備、今後よほどの事情が
ない限り、運用に就くことはないでしょう。

モハ103−3002の製造銘板

              

3000番代は首都圏から転出した旧型国電を103系並のボデーに交換したアコモ改造車
仙石線から川越線へ転用するにあたり、103系化改造されたという複雑な経歴を持って
います5月24日に廃車回送された「ハエ52編成」のうち、モハ103−3002は私と同世代の
車両昭和28年(1953年)東急横浜でモハ72504として落成し、アコモ改造後はモハ72972と
名乗る50年を超えてなお首都圏で現役だった同車の引退は、なぜかヒトゴトとは感じられ
ない年を取ったしるしでしょうか?

サハ組み込み以前3両非冷房時代、当時は1時間に1本、高麗川〜大宮間の直通がありました。

指扇→南古谷 1989年3月

武蔵高萩始発の成田初詣臨と並ぶ「ハエ54編成」、165系6両ではホーム長の関係で客扱いに
問題があったのか、その後設定はなかった様です。

武蔵高萩 1991年1月

八高線電化からしばらくの間は立川行の設定が、
ありました。オレンジの103系との離合も過去帳入り

東中神 1996年10月

2002年秋、助っ人として南武線をお役後免になったカナリヤ色の103系が入線しました。
短期リリーフだったため塗色の変更はせず、誤乗防止ステッカーが貼ってありました助っ人
「ハエ50編成」と交換する、「ハエ51編成」

的場 2002年11月

入間川橋梁の登り坂を越えホッと一。西川越→的場                    2003年8月

2005年になって初めての降雪があり、これが最後の雪中撮影となりました。

武蔵高萩→笠幡 2005年1月

運用終了で南古谷へ回送の「ハエ53編成」奇しくも東上線の8000系復活旧塗装車と並びました。

川越→南古谷 2005年5月

ついに川越・八高線もオール「銀箱電車」になってしまい、もう自転車でのお手軽撮影も
できなくなりました。でも205系のサイドはLEDでなく方向幕式だし、りんかい線からやって
きた「買収国電」の209系もあり、見ようによっては興味のある線区かもしれません。そうは
言っても通勤時に「銀箱電車」が来ると、思わず「チェッ!」って言ってしまう私なのです。

【オマケです】     には がありましたが、

                      機能していませんでした。

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