信越本線の蒸気たち

1963年電化前の屋代付近

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島田鉄道写真館、第二弾は島田氏の地元信越本線屋代近辺の蒸気機関車の写真をUPしてみました。
信越本線の軽井沢ー長野間が電化されたのは1963年6月のこと、丁度横軽のアプトが廃止になる
一ヶ月ほど前のことでした。島田氏の初期の写真がこの信越本線屋代近辺が多いのは当然ですが、
住んでいる目の前をD50やD51重連の急行が行き交うとは、なんとも羨ましい環境でした。当然私も
この時代のことは知るはずもなく、D50がこんなに活躍していたのもはじめて知った次第です。撮影場所は、
例によって島田氏に写真を説明しなが ら確認して、だいたいわかったのですが、なかには不明の
ものもあります。時代は1962年から63年にかけてのもので、今は信濃鉄道となってしまつた信越本線の
在りし日の姿を見ていただければ幸いです。

るるるる

白帯三両が組み込まれた編成を従えた、D51重連の急行「白山」。

電化前の信越本線のことは良く知りませんでしたが、D50がこんなに活躍していたとは!!

甘い写真ですが、電化前の屋代駅で後の架線は長野電鉄です。しかもダブルルーフの客車ですね。

この頃は信越本線といえども腕木にD50。

これは今の北長野ー三才間  上に見える架線は長野電鉄です。

これも屋代近辺を行く急行「白山」。

この塗装のキハ55は私も実物は見たことがありませんでした。

長野駅の「白鳥」 大阪ー上野を結ぶ、当時長野駅を通る唯一の特急でした。

この写真は現在の信濃鉄道屋代高校前付近とのことです。

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