長野電鉄単色時代

 

島田鉄道写真館、今回は1962〜3年の長野電鉄の姿をお届けいたします。
この当時の地方私鉄はまだまだ活気があり、長野電鉄も例外ではありませんでした。
湯田中温泉や志賀高原という有数な観光地を持ち、シーズンには東京から国 鉄直通の
急行も走っていたのです。しかも当時の信越本線はまだ非電化だったため、キハ57が
電化していた長野電鉄に乗り入れていました。特に夏やスキー シーズンの賑わいは
大変なものだったと島田氏から聞いています。長電ロマンスカー2000形もまだピカピカの
新車でした。その一方、在来車は旧型の魅力的なものが多数存在しており、この面でも
地方ならではの楽しさを感じます。当然私の知らない時代の写真ですが、鉄道がまだまだ
移動の中心だった頃の写真、楽しんでいただければ幸いです。なおデータ当は例によって
不備があると思いますが、ご容赦ください。

 

1962,8 湯田中にて  キハ57の上野直通急行「志賀」  当時の賑わいがわかります。

1962.8  湯田中を発車する「志賀」 

1962,8  湯田中に到着するローカル電車   1000系  湯田中の駅の配線は独特でした。

1962,8  湯田中駅にて  モハ101   長電開業時からの車輌です。独特の風貌です。

1962,8  湯田中駅と駅前広場  湯田中温泉、志賀高原の玄関にふさわしい駅舎でした。

1962,8  湯田中駅にて  2000形の特急ですが、「かさだけ」というネームは知りませんでした。
かさだけは志賀高原の笠岳ですね。当時特急は列車毎別々の愛称が付けられていたそうです。

1964,7  湯田中駅にて 2000形特急の並びです。 新旧塗装の違いがわかりますね。

1963 信濃吉田ー朝陽にて  先頭は1000系?  この頃からこの区間は複線でした。

1963   信濃吉田ー朝陽  下は信越本線です。 こちらは信越路の蒸気に写真があります。

1962  屋代にて 手前は信越本線、こちらはまだ非電化でした。当時のローカル
車輌は茶色一色・・・上の2000系のマルーンよりくすんだ色だったとか。

1969,5 屋代にて  古強者モハニ532  少し新しい写真ですが貨物の入れ替え中です。

1969,5 屋代にて   ED5001 1927年日立製の電気機関車。

なお、思鉄本編成に1970年頃撮影の釣り掛け時代の長野電鉄をUPしています。

 

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