頚 城 鉄 道

 

島田写真館、今回は頸城鉄道自動車を御覧頂きます。頸城または頚城(後者は略字かと思われますが
地名は略字の方を使っているようです)鉄道は、信越本線黒井駅に隣接する新黒井から浦川原に至る
全長15キロのナローの鉄道。その独特のムードからファ ンの人気も高かったようです。
この鉄道は1968年9月30日に両端の新黒井ー百間町、飯室ー浦川原間が廃止され、しばらくは国鉄と
連絡しない真ん中の部分だけが営業されていた。特 に冬場の道路事情の関係のようだったが、道路の
改善と赤字増大により、その百間町ー飯室も1971年4月30日に廃止。57年の歴史に幕を降ろしました。

今回の島田氏の写真は部分廃止になる直前の1968年9月の末(日付不明です)に撮影されたものでが、
別れを惜しむ乗客が大勢乗っているのが印象的 でした。時代からすれば私も撮影可能の年代・・・
今回スキャンをしていて、行かなかったことが本当に悔やまれました。

 

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新黒井にて 集まった乗客は別れを惜しむ地元の人達でしょうか?二階建ての
駅舎はスタンダード石油直江津工場の外人宿舎を移設したものとか。

新黒井にて  向こう側のD51は当時未だ非電化だった信越本線、頸城のDLはDC92
昭和19年蒸気を協三で改造したものだが、ほとんど新造に近い機関車でした。

新黒井にて  こちらのDLはDB81  昭和20年12月協三製の三号蒸気を昭和27年に改造したものです。

撮影地は不明ですが、鈴なりの乗客に廃止前のつかの間の賑わいが見えます。

車内の様子 ナローだけに狭い車内、しかしつり革もついていたのですね。室内灯もクラッシクです。

田園地帯を行く混合列車は、ナローの魅力十分です。

これは北四ツ屋駅だと思うのですが。

百間町にて  ここには運転区と検車区もあり、頚城鉄道の中枢部でした。

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