在りし日の名古屋市電

 

1971年夏、九州で蒸気を中心に撮った帰り名古屋で途中下車。短い時間でしたが、駅前で名古屋市電を
撮りました。・・・と書くと予定して尋ねたようですが、実はこれが全く覚えていないのです。前日長崎本線を
撮り、そのまま長崎市内観光と長崎市電を撮影したのですが、その後がさっぱり記憶も記録もありません。
当初ネガをざっと見ていたときは、長崎市電につづけて名古屋市電があったため、すべてを長崎市電と
勘違いしていたほどです。しかし一枚ずつ見ていくと、アレレ??これは名古屋ではないかと・・・・。あわてて
ルーペで見てスキャンすると、やはりまぎ れもなく名古屋市電でした。撮ったことすら覚えていないと言う、
ひどい体たらくですが、今となれば撮っていてホント良かったとしか言いようがありません。夜行から列車の
乗り継ぎの合間に撮ったのでしょう。枚数もさほどではなく、また場所は名古屋駅前だけですが、1974年に
全廃された名古屋 市電の姿、見て頂きたいと思います。なお撮影日はすべて1971年8月14日です。

 

この時僅か2枚ですがブローニーのカラーも撮っていました。車両は1953年製1550型です。

上と同じ1553   1550型は1953年製で、思鉄とほぼ同世代  製造は日立・日車・輸送機工業輸送機工業という
会社は実は全く聞いたことがありませんでした。調べたところによると元々は中島飛行機の半田工場が
独立したもので、1950年に愛知富士 工業となり、1953年に輸送機工業と名を変えたそうです。富士重工の
関連会社とのことですが、残念ながら現在は鉄道事業からは撤退しています。

笹島町行き1823号 1800型は1953年製の1801〜1814 そして1954年製の1821〜1830があるが、これは
その後期の方の車輌(1820型と書かれていたものもありました。) 無音電車のハシリとしてデ ビュウした
1800型であるが、当初は故障も多かったようである。

2000型2013   1957年製直角カルダン駆動の新鋭車、名古屋市電の無音電車といえば、当時かなり有名な
存在でしたが、逆にその先進性があだになったのか、他に移ることもなく1972年に全廃となりました。

1400型 1420  戦前の1937年製 1400型は1937年から1942年にかけて全部で75輌が作られ、名古屋市電の
顔とも言える存在でした。のちにワンマン化され名古屋市電が全廃になる1974年まで活躍していました。

同じく1420  1400型は登場時は「張り上げ屋根の美しいスタイルで人気を評した」・・・・ん??張り上げ屋根、
この1420のスタイルはちょっと違う??? 名古屋市電保存館に保存されている1401とこの1420はまるで違う??? 
はてこれは・・・・ということで散々悩み調べましたところ、何と1420は戦災で焼け、その後1949年に復旧された
車輌で、その際にこのスタイルになったとのことでした。

1400型で戦災復旧車は1405,1416,1420,,1423,1432の五両で、ある意味貴重な姿を捉えたのかもしれませんね。
本来の1400型の写真は、残念ながら撮れませんでした。本来の1400型のスタイルは、最後の方に名古屋の
市電保存館に保存されている姿を掲載しましたので、そちら をご覧下さい。

2000型2007   となりのバスに比べてもそのスタイルの良さがわかります。

同じく2007    すそを絞った姿が特徴的、またドアも名古屋市電ではじめて一枚ドアが採用されました。
名古屋もしばらく降りたことがありませんが、この駅前はどう変わったのでしょうか。

こちらが名古屋市電・地下鉄保存館に保存されている2000型2017です。         2002,9 photo by 団長

こちらが保存されている1938年製造1400型1421。前の1420と比べて見てください。  2002,9 photo by 団長

1400型は豊橋鉄道にも譲渡され3100形として活躍している。ただ名鉄岐阜市内線の車輌が転入するため、
将来が気がかりです。(すでに3両が過去 帳入り)                                                   2005,4 photo by 団長

今回このページを作ったところ思鉄と相互リンクさせていただいています、五条川鉄道写真館
吉野富雄
様より、個々の車輌についての解説をいただきました。ここに紹介させていただきます。

1971年当時の名古屋市電拝見しました。名古屋駅前もすっかり風景が変わってしまいました。名古屋
中央郵便局(1枚目のバックのビル)や名古屋ビル(2枚目バック左端のビル)は健在ですが、毎日ビル
(2枚目バック中央のビル)・豊田ビルは解体されてしまい、現在再開発中で す。1550型は1953年製で、
無音電車として知られる1800型前期車(〜1814)とほぼ同じ車体をもつ新造車です。ただ、1800型と
異なり新製費 節減のために材質を落とし、台車や電装品の一部は手持ちの中古品を使用したため、
「インチキ無音」という有り難くないニックネームを頂戴した形式でもあり ます。ただし、在来車と同性能
だったのが幸いしたのか、市電最終時まで現役を貫くことができました。さらに2両は岡山電軌に譲渡
されて、昭和61年まで同 社の3800型として活躍を続けました。車輪にゴムをはさんだ弾性車輪を採用
した無音電車1800型は、1801〜1814の前期と1821〜1830の後期に分かれますが、資料によって、
〜1814を1800型A車、1821〜を1800型B車としたものと、後者を1820型としたものがあります。両者の
見分け方ですが、車体正面下部がス カートでおおわれ、ドラムブレーキが各軸に4つついているのが
1821〜、ドラムブレーキが動軸のみ2つなのが〜1814になります。2000型は1956年に登場した、
名古屋市電無音電車の決定版ともいえる形式で、直角カルダン駆動の高性能車でした。ただ、その
高性能ゆえ部品代が高 価につき、1972年に全車廃車となっています。ただし、名古屋市電の
高性能車としては、2000型の一代前に当たる1900型が市電全廃一ヶ月前の1974年2月まで使用
されています。1400型は1936年から製造された名古屋市電を代表する形式で、これも市電全廃まで
活躍しました。現在も豊橋鉄道に譲渡された車輌が現役ですが、旧 名鉄780形などの転入によって、
今後の動向が気になるところです。なお、1400型の丸屋根車体車は、戦災復旧車の 1405.1416.1420.
1423.1432のほか、戦後まもなく事故によって大破した1410を加えた6両がありました。

 

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