浜中町営軌道 |
日本の五分の一を占める北海道、この広大な原野は本
土からの開拓入植者によってひらかれてきた。 当初は鉄道沿線に居をかまえたが、しだいに奥地へ入植が進み、そのため奥地と国鉄沿線をむすぶ 鉄道が必要と なった。これを北海道殖民軌道(軌間762ミリで簡易軌道とも呼んだ)といい、全部で36本、 すべて国費で敷設された。特許は必要でなく、これを設置する 官庁が主務大臣と協議のうえ、 設置されることとなっていたが、実際はほとんど協議はなかったようである。 戦後、北海道緊急開発計画の樹立にともない、名称を北海道簡易軌道とあらため農林省の所管となり、 国有機関車と軌道の保全のための費用を国が補助するよ うになった。その新設・改良は 北海道開発局が担当し、道知事がその管理者となり、昭和28年、管理運営に関し道と各町村が 委託協定を結び、一切の管理運営 を各町村が行うようになったのである。しかし昭和46年国の 補助がうちきられ、施設の老朽化と道路の整備、自家用車の発達により、残っていた僅かの 簡易軌道各線も次々と姿を消していった。そして昭和47年5月、浜中町営軌道の廃止をもって、 簡易軌道はその姿を消したのである。 |
1Page
私がはじめて北海道を訪れた1969年3月、簡易軌道
はまだ6個所で頑張っていました。
浜中町営軌道は国鉄根室本線茶内駅前から、内陸方面に延びていました。昭和2年、 なお、資料として「鉄道ピクトリアル」 259号を参照しました。 釧路製作所製 8tDC 昭和37年製 運輸工業製 8tDC 昭和35年製 浜中町営軌道には、DCの旅客のほか、DC牽引の |