ポール時代の叡電 |
京福電鉄叡山線・鞍馬線、私がこの鉄道を訪れたのは1975年1月のことでした。未だ残るポール電車と
して、 京都の北東部を走るこの路線は、殊のほか寒かった記憶があります。九州からの帰路、夜行急行では一日で 帰り着かないため、大阪まで急行で来てここで 一日過ごし、大垣発の夜行344Mを乗り継ぐ行呈でした。 大阪からは淀屋橋を経由して京阪電鉄の特急。三条から市電に出町柳へと向かったのですが、問題は 京福線内でどう動いたか・・・まるで記憶がありません。出町柳で写真を撮ってその後鞍馬へ向かったはずなのに、 どこか途中で降りてしまったようです。なに せ鞍馬の駅の写真はないし、あるはす゛の切符も出てこない。 下車して走行シーンをどこで撮ったのか??? 構内配線などから見ると二軒茶屋かと思うのですが・・・なんとも 情けなくUPもどうしようか考えたのですが、皆様に撮影地を教えてもらえればと思い、UP してしまいました。 叡山線は1978年までポール集電をしていたが、これは国内で最後まで残ったポール電車でした。 |
デナ500形 言わずと知れた元阪神小型車831形 出町柳のたたずまいは今もあまり変わらないようだ 1998年4月撮影 こちらから見ると駅の雰囲気はあまり変わらない。停車中の車両は「きらら」ことデオ900形 出町柳に進入するデオ203 1951年近畿車輛製 出町柳を出発するデナ500形 後ろの家並みも今は変わってしまったものの、面影は感じられました
1998年4月撮影 後ろの建物は手前側はそのまま同じですね、木造の
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現叡山電鉄、かっての京福電鉄比叡山線は、京都北東部・洛北の地を走る路線14,3キロの鉄道である。 起点の出町柳は以前は京都市電で京都中心部と結ばれていたが、その後市電が廃止された後は 孤立した出発駅であった。しかし1989年京阪電鉄鴨東線の開通 により、叡電沿線は飛躍的に利便性が 増し発展を遂げた。現在は地下鉄烏丸線の開通により乗客の減少も見られるが、新型車デオ900「きらら」 などの車両も 導入され、観光に日頃の足にと活躍を続けている。 この叡電の開業は1925(大正14)年、京都電灯の手によって出町柳ー八瀬(現八瀬遊園)間が開業した ことに始まる。その後1928(昭和3)年には傍 系の鞍馬電気鉄道の手により、宝ヶ池ー鞍馬間の開業 (全通は翌4年)開業され現在の叡電路線が形成された。その後戦時統制により京福電鉄叡山本線・鞍馬線 として営業されたが、経営の悪化によりこの路線を分離独立させることとなり、昭和60年叡山電鉄が設立。 翌61年に叡山電鉄としての営業を開始したのであ る。 |
ネガの順番から見ると、出町柳からこの車両に乗車 降りた駅からの撮影と思われます ここはどこ? この日は訪れた時間帯もありましたが、どんより暗く、サイドからは流し撮りになってしまいました
デナ124 1928年鞍馬電気鉄道開業時の車両 現在鞍馬に保存されているデナ21と基本的には同じ設計 デオ300形 1959年日立製の車両で比較的新しいものだが、この車両も 出町柳へ向かうデオ203 乗客もかなり多いようだ 起点の出町柳の駅
1998年4月撮影 出町柳の駅本屋はご覧のとおりですが、う〜ん、
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