三菱鉱業美唄鉄道

 

国鉄函館本線美唄駅から延びる一本の私鉄。それが今回取り上げた三菱鉱業美唄鉄道でした。常盤台までの
10.6kmを結んだ運炭鉄道でしたが、石炭産業の斜陽化とともに1972年6月1日に廃止、その沿線は炭鉱があった
頃は人口も多くかなり栄えていましたが、今では無人となった廃屋や店舗跡などが寂しい光景を作り出しています。
私がここを訪れたのは1969年4月のはじめ。残念ながら美唄の駅だけしか訪 問できませんでしたが、これが私に
とって最初で最後のEタンクの姿でした。その後1971年の夏には武蔵高萩がこの鉄道を訪問しています。今回は
二人合わ せて一人前(とまでもいかないかもしれませんが)、ということでこの二度の訪問の姿を合作でUPして
みました。武蔵高萩のページには貴重な切符も掲示して ありますので、合わせてご覧いただきたく思います。
美唄鉄道は函館本線美唄駅から1917年11月石狩石炭により美唄〜沼貝(後の美唄炭山)が軽便鉄道として開通。
その後三菱の管理下に置かれ美唄鉄道となり、1924年12月に常盤台まで延長、ここに全線開業となりました。
戦後三菱鉱業に合併され三菱鉱業美唄鉄道となり、石炭の輸送で栄えたものの、石炭産業の斜陽化により
1972年6月1日に廃止となっています。

part1

美唄鉄道には、最期のEタンク機関車が活躍していたことで知られていました。その名は4110。奥羽本線
板谷峠の補機として生まれた勾配用の機関車で、国鉄から美唄鉄道に払い下げられた車両の他に自社
発注機も3両いました。写真の2号機は、1919年三菱造船製。

独特の風貌の4110自社発注2号機 払い下げ機は国鉄時代のナンバープレートをつけていましたが、
残念ながらこれは撮れず、自社発注機だけの撮影でした。

美唄駅構内で入れ替え作業をする2号機、函館本線はまだ電化前でした。

常盤台行きの客車列車を牽引して美唄を出発する4号機、以前は旅客はDCが使用されていましたが、私が
訪問した時は、蒸気牽引の混合列車か客車列車でし た。なお常盤台までは平行する道路に多くのバスが、
運転されていました。しかしこの写真、暗くてどうしようもない〜

美唄構内の片隅に休むキハ101は、1935年 小倉工場製で元旧国鉄のキハ 05。

雪の降りしきる美唄駅で入れ替え作業をする4110、今は2号機が東明に保存されています。


今回は武蔵高萩の増結3号車と共同運行です。1971年夏part2>>

 

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