日中線のC11

 

喜多方と熱塩11,6キロを結んでいた日中線、私が訪ねた当時は列車は朝晩しかなく「日中は走らない日中線」などと
揶揄されていましたが、ここの列車は全て(といっても3往復だけですが)C11牽引の客車列車・混合列車でした。
もともとは今市から会津地方を通り、喜多方からさらに米沢に到るという、壮大な構想の路線の一部として1938年に
開業したものでした。しかし結局は僅かな盲腸線として開業したにとどまったわけです。我々がここを訪れたのは、
所属していた鉄研の合宿が毎年春、熱塩温泉で行なわれていた為でした。これがなければ果たして訪問していたか
どうか。なにしろ 当時の会津は只見線や会津線のC11がメインで、鉄道ファンの目もほとんどがそちらに向いて
いました。しかし数次に渡る合宿により熱塩の地は思いでの地と なり、その後も何かというと訪れるようになったのです。
今年の夏もまたOB会の合宿という名目で、仲間たちと熱塩を訪問しました。1984年3月31日をもって廃止された
日中線ですが、熱塩駅は今は日中線記念館として保存されており、ここに経つと往時の姿が思い出されてなりません。
当時の日中線のC11の写真は以前団長も発表していますが、一緒に合宿に行っていただけにほとんどが同じ時に
撮ったものです。その日数の割りに撮った シーンは少ないのですが、距離もさほどなく、またあまり変化のない路線と
いうこと、そして何より団長ともどもお尻が重かったのが原因でしょう。そんな日中線の写真、宜しければご覧下さい。

 

早春の熱塩駅を出発する列車                                       1972年4月

熱塩を出発するC11312       1973年4月

ご存知大井川で活躍のカマです    1973年4月

熱塩を出ると、すぐに野辺沢川の小さな橋梁があります。列車は混合列車ですね。    1972年4月

こちらは下り列車。夕方の列車は下りがバック運転でした。        会津加納ー熱塩   1972年4月

喜多方で発車を待つ、C11312   夕暮れの日差しの中バック運転で熱塩に向かいます    1973年4月

日中線は朝1本、午後2本の運転でした。これは朝の下り列車。 会津加納ー熱塩      1973年10月

刈り入れの終わった田園を行く列車    会津加納ー熱塩                  1973年10月

早朝の空気の中、白煙がたなびいていました       会津加納ー熱塩       1973年10月

熱塩C11最後の夏、復活蒸気なみ??の人出がありました。この年の11月、日中線のC11は姿を消しました
                                         熱塩駅にて        1974年8月

この頃は、東京から一番近い蒸気の旅客だったと思います。観光客にも大人気でした。  1974年8月

あれから31年・・・2005年の今年の夏、数年ぶりに熱塩を訪れました。熱塩駅は当時の佇まいのまま、
ひっそりと保存されていました。観光客の姿もチラ ホラ・・・実は"さくら"ですが。奥にはオハフ61と
ラッセル車キ100が保存されていますが、こちらの状態はあまりよくないようで、それが気がかりです.。

なお、以前団長も日中線のC11をUPしています。こちらからどうぞ

 

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