2007年8月第4週


 営団丸ノ内線からサインカーブの赤い電車が引退してもう12年、銀箱電車もすっかり

東京メトロ(未だに帝都高速度交通営団の方が)の顔になりました。思えば子供の頃、

歯茎の治療で本郷三丁目の病院へ通院したのが赤い電車との付き合いの始まり。

4才位のことだったかな?あの頃はこの赤い地下鉄を見ると、病院のイメージからか

乗るのを拒んだのだそうです。高校時代、TBSラジオの公開深夜放送が終ると同時に

飛び出し、赤坂見附で最終の池袋行に駆け込んだ思い出。そして、ドウニカこうにか

大学に入ると通学の足に、本郷三丁目や御茶ノ水で降りる学生を横目で睨みつつ、

大手町で東西線へ乗り換え、「この学生何処まで行くんだ?」みたいな視線も無視して

千葉まで通ったっけ。家庭を持って転職してから、通勤に使ったのも赤い電車でした。

構造上の問題か最後まで冷房化されることも無く、引退しましたが、聞けば彼の地

アルゼンティ〜ナの首都ブエノスアイレスで未だ現役とか。

走り去っていく時のサインカーブが、動いているように見えた営団丸ノ内線の500形が

懐かしいですね。地球の裏側タンゴの国でいつまでも活躍して、もしも出来ることなら

いつの日にか再会したいなぁ〜。などと妙に感傷的になってしまいました。

アッ!今週のHMは「さよなら500形」って書くのを忘れちまったゼ。m(_)m

             営団地下鉄丸の内線 池袋 1995-2
 Photo by むさちゃん