2005年6月第4週


今は橋で一跨ぎの四国も、ちょっと前までは連絡船で渡る土地でした。そんな時代、

東京から出ていたブルトレの寝台特急が「瀬戸」でした。その先頭に立つのは勿論

EF65 500番台、当時の花形機関車でした。ところでこのヘッドマークはローマ字の

「SETO」の文字しか見えませんが、白波模様??の上には、漢字の「瀬戸」もちゃんと

ありますので、念のため。

 「瀬戸」はもともと東京ー宇野間の急行”せと”として1951年に誕生。その後漢字の

瀬戸」に改められ、更に1972年に20系特急に格上げされました。そして本四連絡橋

開通後も四国連絡寝台特急として活躍していましたが、1998年には現在の電車寝台

サンライズ瀬戸”にかわり、客車の「瀬戸」は姿を消したのです。なお、この列車が

急行として運転開始されたころは、”せと”と大社行き”いずも”との併結運転でした。

時代が移った今、またサンライズが、「瀬戸」と”出雲”の併結で運転されているのも、

なにか因縁を感じてしまいますね。 


                  東海道本線 東京 1974-11
 Photo by 松原の親方