今は橋で一跨ぎの四国も、ちょっと前までは連絡船で渡る土地でした。そんな時代、
東京から出ていたブルトレの寝台特急が「瀬戸」でした。その先頭に立つのは勿論
EF65 500番台、当時の花形機関車でした。ところでこのヘッドマークはローマ字の
「SETO」の文字しか見えませんが、白波模様??の上には、漢字の「瀬戸」もちゃんと
ありますので、念のため。
「瀬戸」はもともと東京ー宇野間の急行”せと”として1951年に誕生。その後漢字の
「瀬戸」に改められ、更に1972年に20系特急に格上げされました。そして本四連絡橋
開通後も四国連絡寝台特急として活躍していましたが、1998年には現在の電車寝台
”サンライズ瀬戸”にかわり、客車の「瀬戸」は姿を消したのです。なお、この列車が
急行として運転開始されたころは、”せと”と大社行き”いずも”との併結運転でした。
時代が移った今、またサンライズが、「瀬戸」と”出雲”の併結で運転されているのも、
なにか因縁を感じてしまいますね。
東海道本線 東京 1974-11
Photo by 松原の親方
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