2004年10月第1週


流浪の急行「よねやま」は1961年に新潟〜長野間の気動車準急として誕生しました。

この時代、ローカル気動車急行、準急に他列車との併結無しで運用などと言う贅沢は

許されませんでした。「よねやま」もご多分にもれず”ひめかわ”や”うおの”を相手に

分割、併合を繰り返したり、ダイヤ改正の度に始発、終着が変ったりの、ごく普通の

ローカル気動車急行でした。その「よねやま」に一大転機が訪れたのが1972年10月、

なんと!気動車から電車に変り、運転区間も上越線経由上野〜直江津となりました。

サラリーマンで言えば、地方の支店から東京本社の花形部署へイキナリ栄転ですね。

当時、上越線区間を走る急行には”佐渡”があり、こちらは本数も多かったのですが、

直江津まで行く急行「よねやま」はたった1往復、流浪から孤高に変った「よねやま」は

まさに孤軍奮闘でしたが、新幹線が上野まで延長する前日にその使命を終えました。

写真のHM、当時上野発着急行にHMは既に付いていませんでしたから、おそらくは

運行最終日だけ付けたスペシャルだったかも?でも急行「よねやま」を見ると思わず

♪よねやまさんからぁ〜雲が出たぁ♪って三階節を口ずさんでしまうオジサン鉄には

逆台形のHMって涙が出るほどナツカシイィ〜〜 のです。


                   高崎線 北本〜桶川 1985-3
 Photo by 武蔵高萩