2004年5月第3週


ひたち」は1969年に常磐線上野〜平(現いわき)間のDC特急として登場しました。

当時急行の天下だった常磐線に”いなほ”の間合いで特急を走らせ、急行料金との

差額を稼ごうとした国鉄のタクラミだったようです、マッタク動機が不純だな〜。

この時既に常磐線は全線電化、そこへDC特急を走らせちゃう発想って国鉄的だと

思いませんか?要は遊んでいないで働けって事でしょうか。

1972年に羽越本線電化に伴って”いなほ”が485系化されると「ひたち」もキハ81から

485系の運用に変更され、以来30年今では「スーパー・・」「フレッシュ・・」「おはよう・・」

「ウイークエンド・・」等々と増殖した「ひたち」、最初は動機が不純な間合い運用でも、

編成にはチャント特急のお約束食堂車も入り、停車駅も上野の次は間違っても柏に

停まるなんて事はありませんでした。ところが、急行はおろか快速の設定もない今の

JR-○(株)常磐線ではたんなる有料快速に成り下がったっと思うのはオジサン鉄の

ノスタルジーだけでしょうか?    ウゥ! 「ひたち」に”つばさ””いなほ””はつかり

オオォ あと”くろしお”でキハ81HM完結だぞ。


                   常磐線  1970-3
 Photo by 武蔵高萩