2002年9月第2週


つい先日の9月4,5日と四国に行ってきましたが、今は瀬戸大橋であっという間に四国!

”宇高連絡船”が懐かしいと例によって叔父さんの昔話がはずんだところで、”宇高”に

乗るにはやはりこの列車ということで、今回は急行「」の登場。活躍していたのは、

瀬戸大橋のできる更に前、新幹線が岡山まで延びる前に、京阪神地方と宇野とを結ぶ、

四国連絡急行でした。「」は1959年9月、京都ー宇野間の客車準急として登場。

その後1960年10月1日にEC化、1966年に急行に格上げされました。車輌は主に

153系でしたが、編成は色々で、サハシも付いたり付かなかったりですが、運転本数は

ダイヤ改正の度に増え、この写真を撮った頃が全盛、夜行も含めて一日11往復運転。

新幹線岡山開業後も、本数は激減したもののやはり宇野まで運転されていましたが、

最後には、定期は夜行の1往復のみ、この列車は新大坂23:22発〜宇野2:53着で

宇高連絡船3便3:10発〜高松4:10着と言う、今では考えられない凄まじいダイヤ、

結局、最後の抵抗も空しく、1980年10月に全廃になりました。

瀬戸大橋線の”鷲羽山トンネル”に入る時、この名を思い出すのはオジサン鉄の証拠。


                          山陽本線 須磨〜塩屋 1971-8
 Photo by 松原遊士