2002年6月第1週 |
---|
歌謡曲でオープンしたHM、曲名は一部の歳の鉄だけご存知、”西条八十”作詞、昭和の名曲 ”東京行進曲”この歌聴いた当時の小田原電気鉄道の幹部は”なぁ〜んで我社の電車に乗って 駆け落ちなの”とたいそう怒ったそうですが、お陰で小田急の名前は一躍全国レベル、なまじの コマソンなんか敵わない宣伝効果がありました。チョット前フリが長くなって仕舞いましたが、 今週のHMは更新前の3100形「はこね」、戦前の歌で全国区になった小田急に更なる憧れを 抱かせたのが”ロマンスカー”そして”ロマンスカー”と言えばNSE、1963年SE車の後を受け 前面展望室付きの11両編成連接車として登場、美しい曲線で構成された先頭部、や重心を 下げた低床の車体と相まってその名に恥じない華麗なサイドビューを見せて相模台地を疾走、 鉄な人も、そうでない人も日東紅茶を啜りながら、展望席に座れば気分はもう運転士はボクだ、 車掌はキミだの世界に突入、そんな夢を与えてくれたNSEも1999年に引退、あの懐かしい ロマンスカー色を今に伝えるのは小田急タクシーだけとは情けない、せめて車体色だけでもと、 復活を願うのは、オジサン鉄のノスタルジーなのでしょうか?
|