2002年2月第1週 |
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写真の「おおぞら」の他”おおとり””北斗”北海””オホーツク”と、全部で5種類の愛称を付けた、 特急が走っていました。イズレモ北の大地を走るに相応しい格式高い愛称、周遊券で夜行連泊や 駅寝をしながら煙を追っかけていた、赤貧鉄の我々には一度は乗りたい、憧れのゴージャス列車。 「おおぞら」2号も函館から青函連連絡船で青森に着くと”はくつる”に接続、翌朝9時には上野駅、 一方、赤貧鉄は急行で函館に着き連絡船のカーペットへ猛ダッシュ、暫しまどろみの後に青森で 待つはかの有名な急行”八甲田”、(当時我々はコノ列車を”ハッキョウダ”と発音していました。) 10系に揺られる事11時間、上野に着く頃は精も根も金も使い果たし、ヘトヘトになっていました。 そんな彼らも今は兵どもの夢の後、カタカナ野郎が頭に寄生して、有料の快速列車に強制変換、 オジサン鉄の青春が一つ一つ消えていく、今日この頃です。
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