2010年12月1回目 |
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コンナ写真しか残っていなんで御座います。って端から泣き言並べてご紹介のHMは 廃止から41年、オジサン鉄には涙が出るほど懐かしい玉電、その営業最終日の夜、 三軒茶屋ジャンクションを玉川方面に向かう「さよなら玉電」のお別れヘッドマークを 付けたデハ60形装飾電車です。首都高なんか影も形も無いこの頃の246、今よりも 広く感じられませんか。だけど、いくら広くったって、コレだけ車がウジャウジャいたら そりゃ所要時間も掛かりまさぁな。軌道内も一切関係なく玉電にまとわり付いてきた、 車・クルマ・くるま、高度成長に脇目も振らずまっしぐらの当時日本ではクルマの方が 路面電車よりエライと言う考えが、まかり通っていた時代なんですね。時は移り玉電 廃止から8年後に開通した新玉線→田園都市線も今じゃ関東私鉄1・2を争う混雑度、 ラッシュ時間29本/hの運転本数も焼け石に水状態。新玉川線を開通させても玉電を 廃止せずに、軌道内にクルマ乗り入れ禁止にして運行していたら・ ・ ・ なんて思う 今日この頃なんです。 玉電(東急玉川線) 三軒茶屋 1969-5 |