2020年8月第2回

前回に引き続きまして、国鉄時代を今に伝える103系の駅撮りでございます。先ずは

前面見たって側面見たって、言われなっきゃ103系命な鉄な人以外は、ゼ〜ッタイに

形式が判んない、貫通扉と側面の’KAKOGAWA103’のシールが、冗談と思っちゃう

位に魔改造されちゃった加古川線用103系3550番台でございます。

加古川線 厄神  2015-9 

でも、魔改造位で驚いちゃいけませんぜ、電化当初103系3550番台のカラーリングは、

地元出身の世界的なアーティスト横尾忠則氏デザインのイラストが描かれてたんです。

加古川線 粟生  2008-9

高架化された姫路駅で最後まで地平に頑張っていた、播但線用ホームで出発待ちの

寺前行き103系3500番台でございます。前面窓は1枚になってるけど、この程度なら

貫通扉が無いんで、国電時代の面影を十分ですねぇ。しかし、ジイ〜サン思鉄が思い

浮かべる播但線てぇのは、C57が重連で挑んだ生野越えなのです。それが、寺前迄

電化されて103系が走るなんざぁ、夢にも思わなかったなぁ。

山陽本線 姫路  2008-9

戸袋窓は無いけど、その他は保々原型に見えちゃう、ライトブルーのカラーもそのまま

「大」ヒネからの転入車岡山電車区の103系H11編成でございます。残念ながら岡山の

103系は、今じゃ見る事が出来なくなっちゃいました。

山陽本線 倉敷  2006-8

最後は交流の海の中正に直流の防人と化した、西国の103系1500番台でございます。

しかし、加古川線の3550番台が魔改造なら、筑肥線の1500番台は一体ナニ改造って

言やぁいいのか、車体が赤いんで鬼改造かな?

筑肥線 今宿  2014-9 

Photo by  団長

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