2020年5月第3回

今回も松原物故団員が残してくれた、銀塩から蔵出しスキャンの駅撮り探検団です。

雪景色の中、白いスティームに覆われてホームに入って来たのは、旭川11時丁度に

出発した宗谷本線稚内行き下り321列車でございます。同じ様なシュチエーションで

12年前にアップしたC55駅撮りの2番煎じではございますが、御笑覧の程宜しくです。

撮影当時(1974/2)旭川機関区には、宗谷本線の旅客列車仕業用に流改30号機に

50号機2両のC55とC57 87号機、合せて3両の蒸気機関車がおりました。前年3月迄

仕業に入っていた47号機は廃車になり、その代替機がC57 87号機だろと思います。

当時の宗谷本線の客車列車は、写真の旭川〜稚内間321レ・324レ1往復と旭川〜

名寄間323レ・322レ1往復がございました。324レ→323レ→322レでの運用は可能、

321レは稚内泊→324レなんで、数量的には2両のパシフィック機稼動でOKですねぇ。

しかし、現実的にゃC55とC57は共通運用、名寄でC55の交換風景を撮れる確率は

3分の2となっちゃうんです。ってな事で、1番線停車停中C55 50号機の交換相手は

如何に。なんて書きゃもうバレバレ、ダイヤ上は先着も何故か遅れて2番線に入って

来た、324レの牽引機は見ん事ハズレ、ボックス動輪も重々しいC57 87号機でした。

今考えりゃ贅沢な話なんですが、C57 87号機は機番から’はなこさん’なんて渾名で

呼ばれておりました。まぁ名寄の交換位じゃあんましショックも無いけど、利尻で一晩

早朝の南稚内で降り、324列車発車まで約1時間半間、ひたすら雪の中抜海方面へ

歩き登って’はなこさん’が頭に付いてた時の脱力感、筆舌に尽くし難かったのです。

っと言う、スポーク動輪命ジ〜サン鉄の与太話に終始の駅撮り探検団でした。

宗谷本線 名寄 1974-2

Photo by  松原の親方

<<Prev   Page 29  Next>>