2019年11月第2回 |
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昔々地平時代の大井町線二子玉川園は、駅を出て直ぐに二子橋の単線併用軌道を 3両編成の3000系が、ゴロゴロと車の間を縫って多摩川を渡っていたのでございます。 そんな長閑な大井町線でしたが、東急が気合を入れ開発した多摩田園都市の幹線に 指名され、線名も田園都市線と「町」から「都市」へ大変身いたしました。そして1966年 4月の溝の口〜長津田間開通に伴い二子玉川園駅は、高架化されて鉄道専用橋で 多摩川を渡る事となり、現在の二子玉川駅ベースが出来上がったのでございました。 今回の駅撮り探検団は田園都市線開通2年後の二子玉川園(二子玉川改称2000年) 上り線溝の口方面ホーム端からのスナップでございます。車体はスキンステンレスで 1台車ワンモーター2軸駆動、トンデモナイ駆動装置で登場した6000系でございます。 画像がチッコクってサボの行き先が読み取れないけど、白抜きの「○」のデザインで 大井町〜梶ヶ谷ってぇのが分っちゃうのです。それにしても走行音懐かしの6000系。
次は当時の東急フラッグシップ車オールステンレス7000系大井町行きでございます。 しかし、未だ沿線殆んど野っ原の田園都市線に開通時から7000系を走らせたのは、 五島さんの夢だった多摩田園都市創生へのプロパガンダなのか、単なる車両運用の 都合からなのか?それと貫通幌が先頭車に付いた7000系って、結構レアですよね。
そして、昔の東急語るにゃコイツを出さないと話にならない、3000系はデハ3450形の 4両編成長津田行きでございます。コチラもサボの字が不鮮明でも、行き先を囲んだ 縁取りで分ちゃうのです。それにしても、如何に高架化されたかと言え、スッカスカの ニコタマからは、現在の1日の乗降16万人超ってぇのが、トッテモ想像出来ませんや。 あっ、モチロン高架の下にゃ玉電が健在でしたよ。 東急 田園都市線 二子玉川(園) 1968-7 Photo by 松原の親方 |