2019年9月第1回

今回の駅撮りは今(2019年)から18年前、小田急10000系HiSEの最前列展望席から

生まれて始めて手にした、デジカメで撮った画像をアップして見ました。先見の明が

無かったか、ハイデッカーの車体が仇になっちまい、僅か23年のお勤めで肩叩きの

憂き目に遭った10000系でございましたが、当時は小田急のフラッグシップ車でした。

新宿を出て急カーヴを曲がった先に見えてきた駅は、新宿直近ローケーションなのに

何故か地味な存在が話題の南新宿でございます。昔は新宿出て最初の踏切と次の

次の踏切の間に相対式のホームがあったんですよね。写真撮っときゃよかったなぁ。

千代田線との接続駅代々木上原下り方面は、線路が複雑に輻輳してんの分ります。

代々木上原〜東北沢間って、1978年の千代田線乗り入れ開始と同時に複々線化に

なった、完成まで30年費やした複々線化工事中で一番最初に開通した区間でした。

相対ホームの間に上下の通過線があった、地平時代の東北沢、対向列車は8000系。

勾配を下った先には、地平時代の下北沢、新宿側ホーム端は好撮影ポイントだった。

下北沢を過ぎてからは興奮が冷めたのか、時々思い出した様に撮影しただけになり

次の撮影したのは、複々線区間が完成していた狛江に進入するとこでございました。

乗り入れは1000形に譲った9000形だけど、駅にいりゃ普通に幾らでも見られたから、

きっと各停小田原の幕表示が珍しかったんで、慌ててシャッター切ったんだだろうな。

その後寝ちゃったのか、狛江の次は生田通過の場面が写ってけど、何故撮ったか?

生田の次は新百合通過が常識なのに、如何いう訳か鶴川進入で対向2000形カット。

何駅も飛ばしたかと思うと、今度は隣駅の玉川学園が、今度も対向の2000形と供に。

急に写欲が出たのか、更に続いて小田急中間駅ナンバー1、町田駅でございます。

上り本線から出発したのは、4000.5000それとも2600形か?当時は似た様な車体の

3形式の鋼体車は全て現役でございました。それから、露出不足でよく判らないけど

上り副本線に特急用EXE30000形が何故か停車中、もしかして回送列車なのかも。

町田の次はお約束どおり、江ノ島線とのジャンクション相模大野の通過線を進行中の

場面でございます。アッシが若い時分は、30分ヘッドの急行箱根湯本・江ノ島行きが

此処で分割併合してたっけ。2400形の前4両箱根湯本行き後4両江ノ島行きでした。

また撮影をサボったか、配線好きなら相武台前なのに又もや単純な中間駅の座間、

どうやら、単に対向列車の接近に気が付くてぇっと、取りあえず撮ってただけみたい。

でも、海老名、本厚木通過して対向列車に遭遇しないとは思えないんだけど、やっぱ

次のカットも似た様なアングル、愛甲石田駅通過寸前に対向する4000形なのです。

結局相模大野から先、分岐器の設置されてる駅は、全て画像なしで小田原到着です。

11番線にはモハ1でしょうか2でしょうか、この頃は箱根登山の列車は小田原からも

出ていたんですよね。箱根登山の主力は、未だモハ1・2旧型車の頃でございました。

東海道線と並行して短いトンネルを抜け早川手前で西にカーヴして新幹線を潜ると

今となっては懐かしい3線時代の箱根板橋、30000形EXEが先着交換待ちでした。

入生田じゃ9000形新宿行き急行列車と交換。新宿からの直通はおろか、新松田発も

無くなっちゃってんのが、現状ダイヤでございます。なので、結構レアな交換シーン?

やっとっこ着いた終着箱根湯本でございます。この頃の箱根湯本は1番〜5番線まで

発着ホームがあった様な記憶がございます。モハ1形の104が入って行くのが4番線、

もう一つ旧型車が停まってんのが5番線小田原方面ホーム、104の左っ側の線路は

3番線、さらに画面じゃ写ってないけど3番線の左っ側に1番線、2番線とございました。

こうやって歯抜けながら18年前にロマンスカー最前列で撮った、通過駅撮りを改めて

見るてぇっと、車両も施設も20年近い時の流れで、それなりに変化してたんですね。

小田急小田原線・箱根登山線 新宿〜箱根湯本  2001-2

Photo by  団長

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