2019年2月第2回 |
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総武本線の錦糸町〜津田沼が複々線化された1972年の夏、鉄研の仲間達と千葉に 向いました。その鉄旅の最中松原の親方が、時々思い出した様に車窓から通過駅を スナップした写真をアップいたしました。先ずは代々木を発車した列車最後部からの 撮影でございます。山手線103系と複々線の曲がり具合から、アッシ等が乗ってんなぁ 総武緩行線ってぇのが分るじゃございませんか。恐らく103来たから慌ててシャッター 総武緩行線 代々木
切ったんでしょうね。次のコマには、ほぼ無人のホームに停まってんのか通過してん のか、分んない幕表示回送の113系でございます。この駅はバックのロッテ会館から 錦糸町ってぇのが分りまさぁ。それにしても寂しいやねぇ、今の錦糸町たぁ大違いで ございますねぇ。その後は緩行線から東武は見えないし、ってな事で亀戸と平井を 総武緩行線 錦糸町
スルーして錦糸町の次に写ってたのは、新小岩操車場でございました。今の情け無い 信号場たぁ大違い、当時の新小岩躁駅は、活気溢れる貨物専用駅でございました。 総武本線 新小岩躁駅
線路が何本も敷いてないとこじゃ無きゃ写す気がしないのか、ヤードのお次は車庫が 写っておりました。総武快速線113系用、出来立てホヤホヤの「千」マリ幕張電車区。 撮った当時は駅無かったんだけど、位置的にゃ幕張本郷の駅撮りてぇ事でよろしく。
電車区写しゃ気動車区もってんで、当時気動車王国と謳われた、千葉鉄道管理局の 千葉気動車区「千」チハの眺めでございます。10系に20系とステンレス製のキハ35の 900番台、一番右に編成外れた中間車は、屋根にクーラー見えるんでキロ28かな? 総武緩行線 西千葉
アッシ等が乗ってた列車は、複線時代から日に何本か設定されてた、中野発の101系 快速木更津行きでございました。降りたのは、内房線の五井でございました。 内房線 五井 1972-夏 Photo by 松原の親方 |